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■働く人の歴史が見える!求人広告年表
年代 時代 ▲社会背景●できごと
◎仕事■媒体・媒介
解説と事例
BC
12

13

縄文
時代
  ▲狩猟採集
▲竪穴式住居
現存する最古の広告は、求人広告
奴隷 広告の歴史は古いが、今私達が見ることのできる世界最古の広告は、西暦前12~13世紀に栄えたエジプトの都市テーベのパピルス文書の中から発見された求人広告である。
この広告Aは、逃げた奴隷を主人が探しているものだが、この一つの広告からいかにも人間的な表現行為としての広告の本質がうかがえる。(A参照)  まず、(1)雇用関係が主人奴隷で、(2)つれ戻した人には金貨が与えられることになっており、奴隷はお金でやりとりされるものの扱いであったこと。また(3)広告の“彼のよき主人たる……”ということばに見られるように、広告主の手前勝手で尊大な人間性までがリアルに伝わってくること。
求人広告は、時代の雇用関係と人に対するものの見方、広告主の人間性を赤裸々に伝えるものなのだ。
AD300

弥生
時代
  ▲農耕  
  大和
時代
  ▲古代国家・氏姓制度(氏・部民・奴婢)





▲渡来人の活躍
大和時代の職業をあらわした姓
求人広告の成り立ちを日本の仕事環境から探ると、縄文時代は明確な雇用関係が確立しない頃で、狩猟や植物の採集を日常の仕事とする大きな貧富の差のない社会であった。
弥生時代に入ると農耕が始まり、穀物を蓄えることから私有財産制が成立、貧富の差と階級が生まれた。
四世紀の大和時代に入ると、古代国家が成立し、大王の世襲が行われるようになった。この時期に豪族達が政治経済を分担し、職業を意味する姓(かばね)を持つ氏姓制度が生まれた。馬飼部(うまかいべ)や玉作部(たまつくりべ)、鏡作部(かがみつくりべ)等というように、豪族達は生産技術者集団だった。この豪族達は、土地を所有し、氏(うじ)と呼ぶ集団をつくり、部民(べみん)という農民・漁師と奴婢(ぬひ)を従えていた。職業と、富と権力が結びついた時代であった。
また、この当時には戦乱を避けて日本にやってきた朝鮮半島の渡来人が、土木建築・製鉄・造船・養蚕・織り物等の技術を伝え活躍した。彼らは朝廷に仕えるエリートとなり、漢氏・秦氏等の豪族に成長。国際的な人材活用が行われていた。

600

飛鳥
時代
  ●冠位十二階/憲法十七条を制定
●遺唐使始
●大宝律令
◎防人
人事管理がシステム化された飛鳥時代
6世紀の飛鳥時代には聖徳太子によって冠位十二階の制が定められ、官史の制服がTPOに従って定められたり、欠勤届けが義務づけられ、査定基準(功=業務・過=過失・行=執務態度)もつくられ、人事管理のシステムが確立されていった。一方で、下級役人の写経などのアルバイトが生まれたことが正倉院文書に記されている。
西暦701年に大宝律令が制定され、710年に奈良の平城京、794年には京都に平安京がつくられ、国のしくみが整えられた。このことは身分制度の確立にもつながり、人々は良民(皇族・貴族・土地を持ち税を納める公民)と賤民(売買はされず家庭を持つことを許された官戸・陵戸・家人、売買された奴婢)に分けられた。身分は、選べる仕事の範囲につながり世襲されていった。華やかな奈良平安の貴族文化は、こういう人々の上に築かれていたのだ。

  奈良
時代
  ●初貨幣「和同開珎」
●平城京遷都
800


1000

平安
時代
  ▲アルバイト発生
●平安京遷都

▲大学・国会
◎女房
▲地方政治委託化(国司・郡司)
「枕草子」・「源氏物語」


●武士の発生“主従関係”成立
武士の主従関係が封建制度に発展
平安時代の末期には中央貴族の力が弱まり地方の政治・治安が乱れ、地方の有力者や豪族達は、自力で武力を貯えはじめ武士団として成長していった。武力団のトップは棟梁(とうりょう)とよばれ、家来との間に主従関係が成立されていった。この主従関係は、鎌倉時代に入るとご恩奉公という封建制度に発展した。この奉公(ほうこう)という言葉は、現在は死語化しているが、戦前までは広く使われ、日本の雇用関係の基本的な考え方の柱となり、終身雇用制という日本的な仕事環境の土攘となっていった。
1200


1300

鎌倉
時代
  ●御成敗式目



●元冠(文永・弘安の役)
▲ご恩と奉公
◎白拍子
1400

南北朝
時代
 
■立て札求人広告
▲日本文化基礎づくり
言論の自由・個人の尊重が求人広告を育てた
時代は少しずつ働く人の力を強くしていった。日本の場合もいく度かのゆりもどしの動きがあったものの例外ではない。産業・商業の発展に伴い、1334年の「京都二条河原落書」のように人の集まる河原に、社会批評を書いた紙を貼った木の立て札がたてられ、自由な言論の場が育っていった。戦国時代の慶長見聞録では、京の市中に「われと思わんものは召しかかえられよ」という求人広告が貼り出されていたことが記録されている。戦国時代は、現代の企業間人材獲得合戦を思わせる“実力ある人材への期待”が表面 化し、貼り紙による公募が行われていたのである。江戸時代には、京都所司代が発信した乳母募集の“立て札求人広告”で春日の局が就職し、栄達のきっかけをつくったという。人材への期待は、人間個人ひとりひとりが尊重される時代の萌芽ということができるだろう。日本の求人広告は、この萌芽のもとに発展してきたのである。
1500

戦国時代
室町
時代
  ▲農村の自治組織「惣」
●加賀一向一揆
■戦国時代の立て札・貼り紙求人広告
▲勘合貿易
◎足軽


▲日本のベニス・堺「会合衆」
1600
安土
桃山
時代
 
●本能寺の変
●検地・刀狩
●関ヶ原の合戦
  江戸
時代
 

●人身売買禁止令
●第一次鎖国令
●武家諸法度・禁中並公家諸法度
▲士農工商・えた・非人
◎口入れ屋




■浮世草子流行
▲女大学・大商人
◎遊女
●赤穂浪士討ち入り

口入れ屋の店内は、求人ポスター大集合
江戸時代は約一割が武士、八割強が農民で商人は一割弱の比率であった。士農工商の身分制度の中で、住居・職業の選択の自由がほとんど認められない時代であった。そのため求人・求職活動は江戸・浪速等の大都市が中心で、江戸時代初期には、口入れ屋という民間の人材斡旋業が成立していた。
口入れ屋の紺ののれんを押して中に入ると、中の土間に職種名・求人主・住所番地を書いた紙がたくさん貼ってあり求人ポスター大集合の様であった。店の番頭が字の読めない求職者もいるので、データ等の質問をうけ、内容を答えたという。求職者は、口入れ屋の紹介をもらうことで、雇用側に安心感をもって面接してもらえた。社会保障制度はなく、給料は相対決めで契約し、保証人が必要だった。女性は仲居・女中・めかけ・遊女などで、男性は下男・人足等の仕事が多かった。ちなみに下男は年2両の給金で衣食は支給された。

1700



1800

■奇縁求人石
▲読本流行
▲寺子屋
●天明の大飢饉
●寛政の改革

●解体新書「蘭学事始」
■庶民情報誌「浮世風呂」

●天保の飢饉
●天保の改革
●開国
●明治維新
●五箇条の御誓文
人間的愛情に支えられ発展した求人媒体
江戸の街には当時行方不明者や迷子が多く発生したため、湯島天神境内に「奇縁求人石」、一石橋たもと・浅草観音境内に「まいごのしるべ」と中央に書かれた人と人を結びつける求人碑が建てられた。この石の左右の面に、求める人と、求められる人のメッセージを双方で貼り付け、情報交換をした。
歴史学者の樋口清之氏によると、このような縁結びシステムをつくり出した国は世界に類例がないとのこと。日本人の知恵は人間的愛情から生まれることが多く、日本的現象である。現在の求人情報誌文化もまた、時代の人々のニーズと人間的愛情によって支えられ発展してきたのだ。
歌川豊国画・一石橋求人碑



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